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手が覚えていない - 摩擦を消した制作は、まだ制作か

AIによって制作の摩擦が消えたとき、私たちは本当に速く、上手につくれるようになるのでしょうか。 滑らかな生成体験の裏側では、手応えや記憶、作品を「自分のもの」と感じる感覚が薄れている可能性があります。

  • ものづくりでは、素材の抵抗が作り手の思考を促してきた
  • AI利用による認知活動や所有感の変化を示す研究が現れている
  • AIを完成品を出す機械ではなく、応答する素材として扱えるかが問われる

本記事では、vibe codingや生成AIをめぐる研究を手がかりに、 摩擦のない制作はまだ「制作」と呼べるのかを考えます。

去年の暮れ、辞書がひとつの言葉を年の顔に選んだ。コリンズ英語辞典の2025年ワード・オブ・ザ・イヤーは、vibe coding。日本語にすれば、雰囲気でコードを書くこと、とでもなるだろうか。辞書の定義はそっけない。自然言語で指示して、人工知能にプログラムを書かせること。発表は2025年11月6日。この一語が、その年のいちばん象徴的な言葉に選ばれた。

言い出したのは、AI研究者のアンドレイ・カルパシーだ。2025年2月2日、彼はXにこう書いた。新しいコーディングがある、vibe codingと呼んでいる、雰囲気に身をまかせ、指数関数を信じ、コードが存在することすら忘れる。続けて、こうも。自分はもうキーボードにほとんど触らない。ただ何かを見て、何かを言って、走らせて、貼りつける。たいていうまくいく、と。

読んでいて、少し背筋がむずむずする。うまくいくならいいじゃないか、という気持ちと、それは本当に「作っている」のか、という引っかかりが、同時に立つ。この引っかかりの正体を、少し掘ってみたい。

粘土は、言い返す

人類学者のティム・インゴールドは、作ることについて、忘れがたい言い方をする。ものを作るとは、頭の中の完成形を素材に押しつけることではない、と。轆轤の上の粘土は、指の力にただ従いはしない。乾き具合や、土の粒の粗さや、回る速さに応じて、こちらの手を押し返してくる。作り手はその押し返しに応じて、少し力を抜き、角度を変える。形は、頭の中にあったものが転写されるのではなく、手と素材のやりとりのなかで、両者にも予期しなかったところへ立ち上がっていく。インゴールドはこれをcorrespondenceと呼んだ。応答、とでも訳せる言葉だ。

社会学者のリチャード・セネットも、近いことを職人の手について書いている。良い仕事は、素材の抵抗と上手につきあうところに宿る、と。木工なら木目の逆らい、料理なら火の気まぐれ。抵抗は邪魔者ではない。それがあるから、手は考える。うまくいかなさが、次の一手を教える。

この目で見ると、プロンプトで何かを生成するという営みは、ずいぶん違う姿をしている。こちらは言葉で指定し、向こうは完成品を返す。その間に、押し返してくる素材がいない。応答すべき抵抗が、原理的に存在しない。カルパシーの言う「コードが存在することすら忘れる」とは、裏を返せば、応答する相手が消えた状態のことだ。

もちろん、それのどこが悪い、という反論はすぐ立つ。抵抗なんて、要するに面倒の別名だろう、と。だが最近、その面倒が消えたあとに何が起きるかを、脳の側からのぞいた研究が出てきた。

脳は、うすくつながる

マサチューセッツ工科大学メディアラボのナタリヤ・コスミナやパティ・メイズらが、2025年に公開した論文がある。題して「Your Brain on ChatGPT」。副題に、認知的負債の蓄積、とある。被験者にエッセイを書かせ、そのあいだの脳活動を脳波で測った。三つのグループに分けて。AIに手伝わせる群、検索エンジンを使う群、何の道具も使わず自分の頭だけで書く群。

結果は、素朴だが重い。自分の頭だけで書いた人たちの脳は、いちばん広く、密につながっていた。AIに頼った人たちの脳は、いちばんつながりが弱かった。それだけではない。AI群は、書き終えた文章を「自分のもの」と感じる度合いがいちばん低く、しかも、たった今自分が書いたはずの一節を、正しく引用することさえうまくできなかった。

正直に言い添えておくと、この研究はまだ査読を通っていないプレプリントで、被験者の数も多くはない。断定するには早い。それでも、ひとつの像がくっきり浮かぶ。道具に肩代わりさせたぶんだけ、こちらの認知活動は静かに引いていく。負債という比喩が効いている。いま楽をしたぶんは、どこかで返すことになる、というニュアンスだ。手が動かず、抵抗に応答せずに出てきた文章は、脳にも、うまく根を張らない。

速く「感じる」だけの手

もうひとつ、対になる研究がある。METRという非営利の研究チームが2025年7月10日に出したものだ。今度はエッセイではなく、本物のソフトウェア開発。長く同じコードを触ってきた熟練の開発者16人に、AIツールを使う場合と使わない場合で、実際の作業をやってもらった。

始める前、開発者たちは、AIを使えば24パーセントほど速くなるだろうと予想した。もっともな期待だ。ところが蓋を開けると、AIを使ったときのほうが、19パーセント遅かった。ここまでなら、まあそういうこともある、で済む。ぞっとするのはその先だ。実際には遅くなっていたのに、作業を終えた開発者たちは、なお、AIのおかげで20パーセントほど速くなったと感じていた。

速く感じることと、実際に速いこと。手が覚えていることと、覚えた気になっていること。その二つが、静かに、しかしくっきりと裂けている。摩擦を消すと、作業は速くなった気がする。滑らかで、抵抗がなく、するすると進む感触がある。だがその感触は、実際の出来高とも、身についたものの量とも、もう一致していない。抵抗は、面倒であると同時に、自分がいまどれだけ深く関わっているかを教える計器でもあったらしい。計器を外すと、体感だけが、ひとり歩きする。

それでも、摩擦は懐かしさにすぎないのか

ここで立ち止まりたい。話を、抵抗はすばらしい、手仕事に帰ろう、で締めるのは、たやすいし、たぶん間違っている。

冷静な反論がある。摩擦を尊ぶ気持ちは、前の時代の労苦を美化しているだけではないか、というものだ。人類は長いあいだ、抵抗を減らすほうへ道具を作ってきた。土を耕す労苦を鋤が引き受け、計算の労苦を電卓が引き受けた。そのたびに、失われた手ごたえを惜しむ声はあった。けれど私たちは、鋤や電卓を手放そうとは思わない。創造の核心は苦役の量ではなく、むしろ、次に何を試すかという選びの自由のほうにあるのかもしれない。だとすれば、抵抗が消えて浮いた時間と注意は、もっと上の階の問いに使えばいい。そういう見方も、確かに立つ。

MITの脳波は、失われたものの証拠なのか。それとも、私たちがたまたま価値を置くと決めたものだけを、律儀に測っているのか。METRの食い違いは、損失なのか、それとも単なる郷愁なのか。ここに、まだ誰も答えを持っていない。

ひとつだけ、確からしいことがある。作ることを、素材との応答だと考えるなら、応答する相手をどう手元に残すかが、これからの制作の分かれ目になる、ということだ。AIを、完成品を吐き出す機械としてではなく、押し返してくる素材として扱い直すことは、できるだろうか。返ってきた出力を、答えとしてではなく、こちらが応答すべき抵抗として受け取る。気に入らないところに指をかけ、力を入れ、形を変えていく。もしそういう使い方ができるなら、摩擦は、道具の外側からもう一度、招き入れられるのかもしれない。

カルパシーの言葉に、もう一度だけ戻る。コードが存在することすら忘れる。忘れられるのは、たぶん幸福なことだ。速いし、軽いし、たいていうまくいく。ただ、忘れたものは、手も忘れる。そして手が忘れたことを、私たちはしばしば、覚えていることと取り違える。

あなたが最後に、これは自分が作った、と身体で感じたのは、いつだろう。それは、少し思いどおりにならない仕事ではなかっただろうか。

参考

転載元

※XAが運営するNoteメディアの記事を転載しています。
“つくる火”を分かち合うメディア「Created To Create」

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